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2007年6月10日 - 2007年6月16日

『秒速5センチメートル』と『時かけ』(5)

4の続き)で、『秒速5センチメートル』だけど、これ、あんまし女性にはオススメできねーなぁ・・・と思ったりするんス。ここは『時かけ』と決定的に違うの。俺の中で。

『秒速』はなんというか、(主人公が貴樹という男ってのもあるけど)男の(ちょい妄想的とも思える)恋愛を描いたみたいな臭いを感じるんだよなー。前にも書いたギャルゲ的、エロゲ的な。ま、これは、俺がそういうものに多く触れてるオタだからってのが大きいんだろうけど。あと新海さんという「多分にオタ的要素を持った男」の実体験が影響してるかもしれないし(新海さんごめんなさい)。
「約束」とか「初恋の人」という甘い想い出に拘泥することで逃げてるというか、自分に酔ってるみたいな・・・。
ま、そこもカッコワルイと思う点の一つなんだけど。俺もそうだからなー。

ただ、とにかく単純に見て、過去を引き摺る男の姿はやはりなんとももどかしく、そして苛立たしいと感じる人がいるのは事実だと思う・・・
最終話は一応清々しいとも言うことも出来るけど・・・あのシーンをどう見るか、見えるかは貴方次第。

対して『時かけ』
こっちは過去を引き摺らない清々しいやつが見れる。

紺野真琴だ。

『秒速』は普遍的なテーマを扱った作品だという意見がある。自分も実際そう思う面はある。
意地の悪い言い方をすれば、よくある手垢の付きまくった、使い古されたテーマとも言える。
しかし、ともあれ、描かれてることに普遍的な面があることは事実だと思う。恋愛というテーマは特に普遍性を持ち得やすい。
けれど、普遍的なテーマを扱った作品が、必ずしも普遍的に幅広く受け入れられるとは限らない。
『秒速』は残念ながらココに書いたように、新海ファン、アニオタを超えた幅広い支持を得るのは難しいと思うの。
このお話的に、ね。

『時かけ』もまたSFという装身具をまとってはいるものの、扱われてるテーマは普遍的なもの。

「Time waits for no one.」

時間は平等であり、誰を待つこともない。そして過去に戻ることも出来ない。

過去に何度も戻りながらも、結局真琴が選んだのは、タイムリープの能力を得る前の過去。
「変わらないもの」が流れるシーンでは、真琴は明確に、あの理科準備室での過去を選んでるように見える。
そもそも回数が戻るなら、何度でもタイムリープできるし、功介が真琴のブレーキのイかれた自転車に乗る前に戻って万事OKとか、いくらでも「上手い」やり方がありそうなもので、それは上映当時から言われてたけど、真琴は敢えてタイプリープの能力を得る前に戻って、クルミを千昭に「返す」

過去に戻った彼女は、時間が待ってくれないこと、戻らないこと、だからこそ「今」が大切なことを知ったはず。
過去に戻り、千昭のいなくなったグラウンドで映画の始まりと同じように野球をする真琴はとても前向きで小気味いい。
空を見上げる瞳は、未来を見つめてて。
そこには千昭が「いなくなった」ことへの後悔だとかは感じられない。
その清々しさが、普遍的なメッセージとなって多くの人を惹き付けたんだと思う。

『時かけ』の「未来で待ってる。」「うん、すぐ行く。走って行く。」って言葉と
『秒速』の「どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。」という言葉。

普遍的なテーマを扱った二作品だけど、主人公の姿勢は、まるっきり違う。
過去、現在、未来、そして「今」の捉え方が。
だから同じように「切ない」という言葉を使っても、
『時かけ』の切なさと『秒速』のそれはやはり自分の中で意味が全然違ってくるワケなの。

でもね、何度も言うけど、俺、『秒速5センチメートル』大好きなのよ。
つーか、『時かけ』より『秒速』の方が好きかもしれないんだよなぁw(続く)


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『秒速5センチメートル』と『時かけ』(4)ネタバレあり

3の続き) 初恋ってさー、まあ、思春期っつーの?小学生、中学生、高校生とかさ、まあバラツキあるにせよ、そこらへんじゃないっスか。
で、その初恋が実る・・・ここで言う「実る」ってのはまあ結婚とかそういう人生のゴール的なものにまで辿り着くかって話ですよ。Hとかセックスじゃないですよ。そうだったら実りまくりですから。

で、まあ人によって程度の差はありますがー、人間って成長したり変わったりするじゃないですか?
だから、中学の頃に好きだった初恋のあの子をずっと好きでいられる方がムツカシイと思うの。
成長して自分が変わり、学校や職場、自分の立ち位置とかの環境も変われば、初恋のあの子も、あの時好きだったあの子もみな過去の人になる。
「今」の自分が好きな人が新たに出来る。
初恋のあの子を好きだった「俺」と、今この瞬間、初恋のあの子じゃない子を好きな「俺」は違う。違う「俺」
そうやって色んな人を好きになって行くのはケイハクなことでもなんでもなくて、ごくごく自然なことだと思うのね。
「初恋」をしていたあの頃と違って、「今」のセカイは変わってしまったんだと理解できてるのなら、なおのさら。

で、ここで貴樹君と、それに共感してしまう俺です。

ね?キモくないっスか?

もうずっと会ってない、連絡も取ってない、取れてない人。
ただ想い続けてる人。
幼い日の「約束」だけが頼りな想い人。
そう、まるでギャルゲとかエロゲとかに出てくる「あの日の約束、そして数年ぶりの再会」を夢見てるようなカッコ悪さ。

そういう「約束の人」「約束の地」「約束の場所」(奇しくも前作の表題が『雲の向こう、約束の場所』なんだけどw)を求める男は情けない。そんな俺、情けない。
でも、そういう「約束の場所」を夢想していられるうちはまだ幸せなのかもしないなー。
実際に「約束の場所」に行ってみると、そんなキラキラしたものなんて無くて、「約束の人」もいないってことに大抵気づかされるわけで。

プロモにあった「どれほどの速さで生きれば、きみにまた会えるのか。」という言葉。
貴樹は確かに成長を見せているけど、それはまるで桜の花の落ちるスピードである秒速5センチメートルのようにゆっくりとしたものだったみたいに感じる。
対して明里は、初恋の、貴樹の影を引き摺りながらも、彼よりもずっと速いスピードで成長しながら生きてきたんだと思う。現実を、世界をしっかりと見据えて。
だから彼女の左手の薬指にはソレがあるのだと。

成長しきれなくて、いや成長が遅いから、いつまでも過去を、初恋を、引き摺ってしまうのかもしれない。
初恋とか、過去を引き摺る人は、そういう人なのかもしれない。
そんな感覚を抱く俺自身。
そして、そうやってるうちに、現実も世界も見失って、いつの間にか自分も見失ってた。
よくあることかも、しれません、ね。

だからこの作品に、貴樹の想いに共感してしまう俺は超カッコワルイと思うのです。

ま、もちろんこれも見方と解釈の一つでしかないっス。
新海さんの作品は、すべてを説明しようとせず、謎を残すというか説明を敢えて排する傾向があって、『秒速』もまさにそんな作品です。特に三話の『秒速5センチメートル』はほとんど説明されません。
のでので、バッドエンド⇔ハッピーエンドとかいう範疇にとどまらず、みなさん色んな解釈をしてます。
そして、それが多分正解なのだろーなーと。

人生観、恋愛観によって、経験によって、価値観によって、変わってくる。180°感想が変わることもある作品だと思うから、「切なく美しい物語」って意見も「情けなくカッコワルイ男のよくある話」って意見もまた頷けるのですわー。

なお、後々ノベライズなどで詳しく描写されたりすることの多い新海作品だけど、これもすでに新海さん自身の手でダヴィンチ誌上でのノベライズ化が進 んでます。この手法は賛否両論あるけど、自分は・・・描くならやっぱアニメで描いて欲しいなぁ、と。贅沢な望みだけどさーw(続く)

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『秒速5センチメートル』と『時かけ』(3)

2の続き)『秒速5センチメートル』は、主人公である遠野貴樹の小学生時代から社会人となった後までの十数年の軌跡を辿った映画で、3話の短編から構成された全60分の作品になってる。

以下、ネタバレ含んでるんで、読みたくない人は即バック。








さて、第一話「桜花抄」では東京での小学生時代のシーンから始まる。

小学生時代、転校してきた篠原明里と同じく転校してきた身であった貴樹はお互いに惹かれ合うようになる・・・が、卒業と同時にまず明里が栃木の中学にいくことになり、そしてまた貴樹自身も中学一年の終わりに鹿児島への転校(引っ越し)が決まる。東京と栃木に離れて文通(なんてピュア!)を介した事実上の遠恋を続けてた二人は、貴樹の鹿児島への転校という事実を前に、一年ぶりに会おうと決心、3月の4日、貴樹は明里の待つ栃木の岩舟へと電車で向かう。けれど、大雪によって電車の運行は大幅に遅れて・・・。

ここらへんの展開は『ほしのこえ』や『雲の向こう、約束の場所』と同じとも言え、想い合う二人が、大きな壁によって隔てられる様子が描かれてる。ただ前二作のようにSF的なものじゃなて、至極現実的な壁なのだけど。

さて、待ち合わせ時間に大幅に遅れることにはなってしまった二人だけど、小さな駅舎の待合室で、明里は何時間も待っていた。健気にも待っていてくれた!再会することが出来た!

深夜の再会を喜ぶ二人。手紙にも書いてた桜の木の下、花びらのように舞う雪が降る中、二人は・・・

そして翌日、貴樹は言う。「世界の何もかもが変わってしまったと思った」と。
一話は二人が駅で別れるシーンで終わる。
その際、二人とも、ある選択をする(貴樹の場合は不注意でもあるのだけれど)。
これが後々、「あの時」とか「もし~」につながってくるようになってる。

さてさて、その後の第二話「コスモナウト」では転校後の貴樹を第三者(貴樹に想いを寄せる少女)の視点から、第三話「秒速5センチメートル」では大人となり社会人となった貴樹と明里を極力台詞とかを省いた新海さん特有の極上の「絵」で魅せてく。
山崎まさよしの「One More Time One More Chance」が流れるとことかはもう反則としか言えない出来で。

でさ、これって過去に囚われた貴樹(そして明里)がずーっと、ずぅーーっと、それ引き摺ってる話なワケですよ。
思春期の初恋。それを一途に思い続ける。うーん純愛。なんてピュア。

・・・。

・・・・・・。

ピュア?

つーかさ、初恋って実らんよね。大抵。(続く)

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『秒速5センチメートル』と『時かけ』(2)

1)の続き)俺は『時かけ』が、んもう大好きだから、そういう信者の贔屓目な戯れ言とまず理解してもらった上で言わせてもらうと、『時かけ』は(というか細田守さんは)ポストジブリっつーか宮崎駿の位置に立てるポテンシャルを持った方だと思う。
老若男女かなり広い範囲の人が「見れる」ような映画を作れる人だと思うし、もし万が一、(日テレ主催の日本アカデミーアニメーション賞をとった関係とかで)金曜ロードショーのような地上波ゴールデンで『時かけ』やると、結構な反響を期待できると思う・・・っつーかそうあって欲しい。実際はおそらくNHKBS2あたりでやりそう臭プンプンだけどさ(´・ω・`)

そして新海誠さん。
彼も俺はんもう大好きだから、そういう信者の贔屓(ry
ね?そんなポテンシャルを持った方だと思うのですよ。

ただし!美術監督とか背景を描く人として。

今のままのようなお話では、絶対に老若男女の比較的幅広い層に浸透し、共感を得るようなことはないと思う。
でも今までのようなお話を描いてきたからこそ、自分みたいな新海誠ファンが、新海誠信者が付いたんだと思うワケで・・・ムツカシイよね。

個人的にはねー、うん、新海さんには新たな、もっと違う方向性の作品を作ってもらいたいと思いつつも、もしそうなったら、もうその作品は『ほしのこえ』あたりから付いてきた新海誠ファンが望む作品じゃなくなってしまうのかもしれない・・・悲しいけれど。

今回の作品も従来の新海節な作品だけど、前二作みたいなSF性・ファンタジー性をほとんど排しちゃってるから、作品から受ける印象は、自分の生きてるセカイと重ね合わせて鑑賞することで、より純化されるかもしれない。

「すごい切ないお話だった・・・。・゚・(ノД`)・゚・。」とか
「・・・分かる・・・分かるわ」とか
「なんだ、このキモい男は」とか
「ふーん。それで?」とか
「イライラする話だなぁ」とかとか。

そして俺。
何度も言うように『秒速5センチメートル』大好きなんだけど、この作品に共感し、入れ込んでハマった俺という男は、すっっごおぉく、カッコワルイと思う。

ごめんね。『秒速』好きな皆さん。(続く)

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